FUKUOKA, JAPAN
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diary

敬語の壁を超えられそうになった

部下には敬語で話すようにしている。

時代のながれに合わせている部分もあるし、テレワークが中心なので業務外の話をする機会が減る。そうなると敬語で話すのがなんとなくセオリーになっている部分もある。

一方、付き合いが長い直属の部下にはフランクに話すことも多い。たまに敬語にしなきゃいけないかなーと思うこともあるが、昔からの習慣でもある。古い人間でもあることを少しだけ許してほしい。

今日は前者のテレワーク後の部下との会話。

その方は直属の部下になるのだが、いつも敬語で話していた。

承認をするときは「そうですか、では、それでお願いします」

指摘するときは、「なるほど、そこはちょっと違いますね。もう少しこの部分を考えてみてください、具体的には◯◯です」

な感じだ。

そんな関係の部下だが、思わず「やるやん!どしたん!?」と唸りそうになった。

約2年くらいの付き合いで、仕事はそつなくこなすタイプ。ただ自分から課題を見つけることに苦手意識があり、そこにトライしなきゃとご自身でも1年くらいもがいているように見えた。

第三者的にアドバイスをしていたが、最後は行動をしてもらうしかなく、その行動を起こせないことに本人が一番苦しんでいたんじゃないだろうか。

ある日、本音でぶつかりあった日がある。

詳細は書かないが、振り返ると私の人間的な落ち度が原因だ。要は私という人間の器の小ささである。

部下はそんな私の行動に対して、戸惑いと感情をあらわにしながら、状況を説明をしてくれた。

そこから部下は仕事の質が変わった。

今までもトライしていたのだろうが、積み重ねた研鑽が一気に花開いたように、ゴールから戦術までの打ち手を並べ、その具体的な方法を網羅させ、注力すべきポイントを明示した解像度があがったドキュメントを出してきた。

これには驚いた。

もちろん1日、2日で変わることもないだろうし、偶然かもしれない。

ただ、本音でぶつかったあの日のことがきっかけにはなったのではないか。

もちろん、まだ成果として出ていない、評価をするには時期尚早なのだが、敬語の壁を超えられそうになったことは確かだ。

その壁を超えたとき、前時代的にフランクに話しかけるのか?それとも時代に合わせて敬語でコミュニケーションをとるのか。

そんな小さなことに思いながら、日常を過ごすこの頃だ。