苦手なまま、美術館へ

昨日、福岡市美術館で開催されている「小磯良平展」を観に足を運んだ。
正直に打ち明けると、私は昔から絵画を鑑賞するのがあまり得意ではない。
途中で集中が切れてしまったり、どこに視点を置けばいいのか分からなくなって、気づけばただの風景のように眺めてしまう。だから「自分には美術を味わう才能が足りないのかも」なんて、つい思ってしまうこともある。
デザイン会社を経営している立場でこんなことを言うのは少し気恥ずかしいけれど、アートの前に立つと、自分の素人っぽさや普通さを突きつけられる。
目的や機能美を追い求めるデザインとはまた違って、作り手の内側から溢れ出す情熱や、人の心をふっと動かす情緒的な表現に触れると、「自分にはできないな」と思いつつも、次はこう作ってみようとも思う。まだモラトリアムかよ。
さて、私が語るのも憚られるが、今回いちばん目を奪われたのは「日本髪の娘」という作品。本展の目玉となる一枚だ。
公式サイトには、こうある。
今回は、韓国国立中央博物館所蔵の「日本髪の娘」が約90年ぶりに日本への里帰りを果たします。幻の名作とされてきた「日本髪の娘」とともに、神戸市立小磯記念美術館のコレクションを中心とした100点を超える作品をご覧いただき、小磯が追求したモダンな人物表現の魅力をお楽しみください。
(福岡市美術館 公式サイトより)
もちろん、こんな情報を先に見てしまうと、絵そのものより”情報”を鑑賞してしまった感は否めない。食べログの星を見て飲食店で「美味しく感じる」のと、同じだ。
ただ、目玉だけあってかなり大きく、関連資料として着物なども近くに展示されていて、しばらく眺めていた。
平日ということもあって、間近でじっくり見られる。ありがたい。
顔をじっと眺める。何を見ているのか、どんな表情なのか。いくつかの作品を並べて見ていくと、どうもこの「表情」こそが小磯良平の優れているところなんじゃないかと思えてきた。時代も相まって、戦争中の不穏さに不安を覚えているのか、モデルを務める緊張をにじませながらも、凛とした美しさが立ちのぼる。表情を通して、その時代の空気みたいなものをいつも描き出していたんじゃないか。
小磯はデッサンや表情、姿勢で感情を描く天才と評されているらしい。素人の見立てだけれど、その片鱗を自分の目でも確かに感じた。
もうひとつ目を引いたのは体型だ。今の若い女性、とくにモデル体型と呼ばれる人は、胸が前に張り出してお腹が引き締まっている。一方、昭和のこの時代の女性は、胸はやや薄く、お腹のあたりがふっくらと前に出ているように見える。
本人が惚れ込んで買ったという着物が、実物にどれだけ近いのか。質感をどう表現しているのか。手の形はどうか。姿勢や表情から、この人が今どんな感情でいるのかを想像させてくれる、いい作品だった。髪型をはじめ、昭和という時代の手触りまで写し取られている。
もう一枚、心に残ったのは家族を描いた作品だ。
二人の娘が幼い頃にモデルを務めたそうで、次女のほうがモデルに飽きてしまったのか、少しふくれっ面をしている。その自然な感情のゆらぎまで見事にすくい取っていて、思わず笑みがこぼれた。子どもならではの機微をここまで描けるのかと、ただただ感心するばかり。
私も子どもが二人いるので、下の子がこういう表情をするのは想像に難くない。
デザインとアートの違い。その定義ならネットを見ればいくらでも手に入る。だけど、本物を前にしたときに湧いてくる感情のほうは、どこにも書いていない。
それはたぶん、喪失感に近い。目的や機能から離れて、ただ自分の内側だけを頼りに何かを生み出す——その手前で、自分はいつも立ち止まってしまう。その小さな悔しさと、それでも自分の持ち場で何ができるかを探したいという気持ち。自己肯定感の置きどころを、どこに定めればいいのか。答えの出ない問いを、いろいろと考えさせられた一日だった。
もっと気軽に見ろよ!俺。